「辞めるか、年収を下げるか」の二択ではない
妊娠がわかった瞬間から、頭のどこかで電卓をはじき始める人は多いはずです。保育園に入れるのか、時短にしたら給料はいくら減るのか、いっそ辞めて落ち着いてから働き直すほうが楽なのか。考えるほど、選べる道がどんどん狭く感じられてきます。
けれど、現実には「フルタイムで消耗するか、辞めて年収を手放すか」という極端な二択ではありません。同じように子どもを育てながら、出産前と変わらない年収を保ち続けている人がいます。彼女たちは特別な才能を持っていたわけではなく、出産前後のいくつかの分かれ道で、後から効いてくる選択をしていただけです。
数字は、いったん落とした年収を取り戻すのがいかに難しいかを物語っています。だからこそ、落とさない工夫に価値がある。ここでは公的なデータをもとに、年収を守った人が何を選んでいたのかを具体的にたどります。
L字カーブが教える、本当に怖いこと
女性の働き方を語るとき、かつてはM字カーブが定番でした。出産・育児期にいったん仕事を離れる人が多く、年代別の労働力率がアルファベットのMのように凹む現象です。共働きが当たり前になり、この凹みはかなり浅くなりました。
代わって課題になっているのがL字カーブです。働いている女性の数は増えたのに、正社員として働く割合は20代後半をピークに下がり続け、その後も戻りにくい。厚生労働省の資料では、女性の「正規の職員・従業員」の割合は25〜29歳の59.7%がピークで、年齢が上がるにつれてパートや派遣など非正規へ移っていく姿が描かれています。
ここに、年収問題の核心があります。いったん非正規に移ると、時給ベースの働き方から抜け出しにくく、賞与も昇給も乏しい。同じ「働き続ける」でも、正社員のまま続けるのと、辞めて非正規で戻るのとでは、その後の生涯年収がまるで違う線を描きます。怖いのは年収が一時的に下がることではなく、下がった水準で固定されてしまうことです。
退職か継続かで生涯1.7億円の差という試算
どれほど違うのかを、政府がはじいた数字で見てみます。
内閣府が2024年に公表した試算では、夫婦と子ども2人の世帯を想定し、妻が正社員として育児休業を使いながら就業を続けた場合と、出産を機に退職してその後は再就職しなかった場合を比べています。その差は生涯の手取り(可処分所得)で約1.7億円。賃金だけでなく、退職金や年金、税・社会保険料の負担まで含めた世帯ベースの数字です。
1.7億円という金額には現実味が薄いかもしれません。けれど分解すれば、毎月の手取り、ボーナス、退職金、そして老後に受け取る年金額の積み重ねです。正社員を続ければ年金の記録も積み上がり、退職金も満額に近づく。出産のタイミングで一度退くと、その後パートで働いても、この積み上げの多くが失われます。一方で、同じ試算は「年収の壁」を超えて働くパートのほうが、壁の内側にとどまるより世帯の手取りが増えることも示しています。働き方の選び方しだいで、結果は大きく動くということです。

年収を落とさなかった人が出産前にしていたこと
では、年収を守った人は何が違ったのか。多くは出産する前、まだ余裕のある時期に手を打っていました。
第一に、辞めずに済む環境を妊娠前から選んでいたこと。第16回出生動向基本調査(2021年、国立社会保障・人口問題研究所)によると、第1子出産前後で仕事を続けた女性の割合は、出産前に働いていた人を100とすると69.5%まで上がっています。かつて4割程度だったことを思えば大きな変化で、その原動力は育児休業制度の定着です。逆に言えば、育休がきちんと使える職場にいるかどうかで、続けられるかが大きく変わります。
第二に、復帰の段取りを早めに描いていたこと。保育園の申し込み時期、復帰後の勤務形態、夫の家事育児の分担。こうした話を出産前から具体化していた人ほど、復帰でつまずきません。家事育児が一人に偏ると、どんなに意欲があっても続けられなくなります。夫婦でキャリアをどう重ねるかは、共働き前提のキャリア設計、夫婦でどう描くかでも触れていますが、出産前の話し合いが復帰後の年収を静かに左右します。
復帰後にやりがちな、もったいない選択
復帰してから年収を落としてしまうパターンにも、共通点があります。
ありがちなのが、責任の重い仕事から自分で降りてしまうこと。両立への不安から「しばらく補助的な役割で」と申し出ると、会社はその希望を尊重します。ところが一度外れたポジションに戻るのは、思った以上に難しい。気づけば昇進の列から外れ、後輩に追い越されていく。配慮のつもりが、長い目では年収を削っていることがあります。
時短勤務も同じです。制度として必要なら堂々と使えばいい一方、「とりあえず時短」で何年も過ごすと、給与もキャリアも止まりがちです。子どもの成長に合わせて少しずつフルタイムへ戻す、在宅勤務と組み合わせて時間をやりくりするなど、固定せずに調整する姿勢が効きます。大切なのは、目の前の忙しさを理由に、自分の市場価値を下げる方向の選択を続けないこと。働き方は、状況に応じて何度でも見直していいものです。

転職で年収を守る・上げるという選択肢
いまの会社で両立が難しいなら、転職という選択肢もあります。我慢して非正規に落ちるより、正社員のまま働ける環境へ移るほうが、長い目では得をすることが少なくありません。
近年は両立支援に本気で取り組む企業が増え、在宅勤務やフレックスを前提にした正社員求人も広がっています。年収を保ちながら働きやすさも手に入れる、という移り方が現実的になってきました。どんな職種が年収を上げやすく、いつ動くのが有利かは女性が年収を上げやすい職種と転職のタイミングに詳しくまとめています。転職先を見るときは、給与水準だけでなく、産休・育休の実際の取りやすさも確かめておきたいところ。気になる会社があれば産休・育休がとりやすい会社の特徴と探し方も合わせてどうぞ。
転職に動くなら、出産前か、復帰して仕事のリズムが戻った頃が比較的動きやすいタイミングです。妊娠中の転職は制度の対象外になる落とし穴もあるので、時期は慎重に見定めてください。
自分にとっての正解を選ぶために
年収を落とさないことが、誰にとっても最優先ではありません。一時的にペースを落として子どもとの時間を選ぶのも、立派な選択です。ここで伝えたいのは、選択肢を狭めないでほしいということです。
いったん年収が下がると、それを取り戻すのは想像以上に骨が折れます。L字カーブが示すとおり、非正規からの再上昇は簡単ではない。だからこそ、辞める前に「続けられる環境を選ぶ」「復帰後も役割を手放さない」「合わなければ移る」という選択肢が手元にあると知っておくだけで、判断の幅が変わります。
正解は人の数だけあります。ただ、その正解は十分な情報の上で選んでこそ、後悔の少ないものになります。
よくある質問(FAQ)
Q1. 出産すると年収が下がるのは避けられないのですか?
避けられないとは限りません。正社員のまま育休を使って働き続けた人と、退職して再就職しなかった人では、内閣府の2024年試算で生涯の手取りに約1.7億円の差が出ています。働き方の選び方によって結果は大きく変わります。
Q2. L字カーブとは何ですか?
働く女性は増えた一方で、正社員として働く割合が20代後半をピークに下がり続け、その後戻りにくい現象を指します。いったん非正規に移ると時給ベースの働き方から抜けにくく、年収が低い水準で固定されやすいのが課題です。
Q3. 時短勤務にすると損をしますか?
必要な時期に使うのは当然の権利です。ただ「とりあえず時短」で何年も続けると、給与も昇進も止まりやすくなります。子どもの成長に合わせてフルタイムへ戻す、在宅と組み合わせるなど、固定せず調整していく姿勢が年収を守ります。
Q4. 出産前後で転職してもよいですか?
両立しにくい職場なら有力な選択肢です。ただし妊娠中の転職は、入社直後で育休の対象にならないなどの落とし穴があります。動きやすいのは出産前か、復帰して仕事のリズムが戻った頃です。産休・育休の実態を確かめてから決めましょう。
Q5. 第1子出産後も働き続ける人はどのくらいいますか?
国立社会保障・人口問題研究所の第16回出生動向基本調査(2021年)では、出産前に働いていた人を100とすると、第1子出産前後で就業を続けた割合は69.5%でした。育児休業制度の定着とともに、ここ十数年で大きく上昇しています。